1999年のトラベリングムード

 12日0950(註2007.11.25追記。出発日の日付は平成11年10月12日)。

 熱特有のじっとりとしたイヤな汗をかきながらの出発。やけに日差しキツイ(気のせいではないことを後で知るのだが)。解熱剤を飲み下し中央線に乗り西国分寺へ…と思ったらフライバイして国分寺。出だしからこの有り様。フラフラしながら引き返す。

 西国分寺から武蔵野線南浦和、そこから京浜東北線大宮、そこから東北新幹線やまびこと乗り継ぐ。熱は下がったが肺は痛い。煙草なんて吸えない。と思ってたら新幹線自由席喫煙席しか空いてなかった。辛い。

 そう言えば立川新幹線自由席券を買ったのだが、どういうわけか金額が足りてなかったらしく上野の改札をくぐれなかった。駅員に到着駅で精算するように言われて新幹線には無事乗れた。

 んで、1320 福島駅到着。しかし精算はナシ。精算しようと思って改札の駅員にキップを渡して説明しようとクチを開こうとすると、「はい、出ていいですよ」。どうやらオレが自動改札を使わなかったので電車音痴勘違いしたらしい。払わなくていいなら払いませんよ。というわけでそそくさと駅を出る。

 暑い。……おかしい。結局この日は異常気象だったワケだがそんなことは知らん。とにかくオレの知っている福島じゃない。福島には友達が住んでいるので昔よく来ていた。だから少しだけ土地勘があるのであった。

 この日の目的地は福島駅からバスに乗って30分程行った先にある土湯温泉という鄙びた温泉さらに奥にある不動湯温泉という場所だった。バスは1時間に1本ペースで出ていたので、それを見計らって福島市内をしばらくほっつき歩いてみる。

 見覚えのある道を右に左に曲がりながら進むうちに眩暈がしてきた。熱のせいだけではない。あまりの懐かしさにクラクラしてきたのだ。6年ぶりくらいだろうか…新しいビル駅前には建っていたりするが、ちょっと入った小道の店などはあまり変わりがない。昔は車で移動してたので道はかなりうろ覚えだったのだが、勘で曲がってみるとけっこう思った所へ出るので嬉しくなる。

 1時間程うろつくと疲れてきたので薬屋で新しい薬を買って、それからバスに乗る。女子中学生の隣の席が空いていたが、座る勇気はなかった。

 R115を猪苗代方面バスは走る。窓外には山々の稜線と青い空、そして入道雲10月福島入道雲…どうかしてる。

 時折停車して乗り降りのドアが開くと草の匂いがした。空気は間違いなく美味い。いつの間にかバスの走る道は緩い上り坂となり、山裾へ分け入って行った。そして1530 土湯温泉到着。

 バスを降りると急に肌寒くなっていた。あわてて上着を着込む。

 不動湯温泉へはここから山道を40分程歩くことになる、とネット検索した情報にはあった。観光案内所の地図で道を確認する。なるほど、上り口がある…おや、しかしその道とは逆方向から点線が不動湯温泉へ伸びているがこれはなんだろう…とか思ってると、バスの運ちゃんがやって来て不動湯まで歩くならあっちだと教えてくれた。それは前者の上り口だった。

 上り口の看板には「不動湯温泉まで4km」の文字。4km…けっこうあるが…。オレは缶コーヒーを片手に軽い気持ちで昇り始めた。

 1.5km地点。息が上がっていた。玉になって噴き出す汗がだらだらと首筋を伝った。インナーシャツは2枚ともぐしょぐしょである

 2km地点。そこまでの道は舗装されていたのだが、この先は石と砂利の悪路となっている。その影響はすぐに足にきた。この日履いてきた靴はいわゆるスエードの厚底靴で都会仕様しかも前日に買ってきたという新品である

 親指の腹が燃えるように痛んだ。なにやら皮がズル剥けてるようなイヤな感触。脱いで確認したら絶対にヘコむと思ったので一心不乱に歩き続けた。

 3km地点。何かがおかしいと思い始める。時折砂埃をあげてオレを追い抜いて行く車はあれど歩行者の姿は一人も見ない。時計を見るとすでに40分は歩いている。道は間違っていない。だけどヘンだ!

 3.5km地点。誰もいないのをいいことに上半身裸になる。タオルで手早く体を拭いてシャツを着替えた。 脱いだシャツは汗でずっしりと重かった。やばい、早く目的地に着かねば病状の悪化に関わる。でも足も痛いし、陽も傾き始めていた。泣きそうになる。

 そして歩き始めて小1時間後…もつれる足を引きずるようにしてようやくゴール。疲れすぎてて何の感慨もない。とにかく休まないとやばい

 

 そこは本当に秘湯と言っていいのかどうかわからないが、ボロかった。仮玄関と貼り紙された扉をくぐると昭和の匂いがふんぷんとする木造の暗い館内がそこにあった。宿の従業員のおじさんに帳場へ案内される。館内は昇ったり降りたりものすごく入り組んでいる。やっとの思いで帳場に着くと名前を確認されただけで部屋へ通される。部屋は先程の仮玄関のそばにあった。つまり逆戻り…勘弁して(T_T)

 部屋に通されると、安心して疲れが一気に噴き出してくる。靴下を脱ぎ指を見る。押すと痛かったが皮は剥けてなかった。早速風呂へ向かう。

 長い長い木造りの階段を下ってさらに野外に設けられた階段を下ると、そこに露天風呂があった。すごく小さい。4人も入ればいっぱいという大きさ。辺りはうっそうとした原生林に囲まれているため、脱衣所も風呂もこれといった囲いはない。

 風呂には中年男性の先客がひとり。お辞儀をして隣に座る。ぬるい。お湯はぬるっとして硫黄臭い。先客のおじさんが出た後、別の男性客がやってきた。ちなみにここは内湯も露天も混浴である。婦人風呂もひとつあるが。

 後から入ってきた男性と話をした。千葉からオフロードで仲間と一緒に来たらしい。そう言えば道中そんな団体に抜かれた覚えがある。話してる途中で猛烈に腹が減ってきたのでお先に失礼する。

 部屋に戻って食事がくるまでテレビを観ながら煙草を吸ってみる。なんとか吸える。

 この部屋のテレビは調子が悪いらしくずっとつけてないと画面のブレが収まらない。

 1800 メシがきた。秘湯ならではの山菜料理とかを期待してたのだが、なんか多いだけで全体的にしょぼかった。大ビンを1本つけてもらう。だらだら喰っていたがやはり全部入りきらない。あんまり美味くないし。

 どうにも疲れてしまって倒れ込む。漫画のネタなんて考えてる余裕なし。早く寝てしまいたい。テレビばかり観ていた。

 2000 布団を敷いてもらう。手帳に旅行のメモを書きながら寝る。2300にタイマーをセットして灯りを消すがなかなか眠れない。やっと睡魔が訪れたと思ったその時部屋の電話が鳴った。帳場からだ。「XXXさんからお電話が入ってます」

 XXXさん…仮に動物さんとしておこう。動物さんこそは例の福島在住の友人だった。近くまで来てるなら明日車でいろいろ案内してあげようとのこと。オレも翌日は元気があったら山形まで行こうかなくらいに何も考えてなかったので、好意に甘えさせてもらうことにする。電話を切って眠る。

 

 0400 目が覚めてしまう。イヤな夢を見た。二度寝できそうにないので缶ジュース買いがてら館内の撮影を試みる。資料に使えそうなので。皆寝静まってるのをいいことに撮りまくる。

 (ふと思い出したのだが、寝る前に今度は内湯に入ってるハズなのだが、いつ入ったのかわからない…おかしい。あ、確か2200頃だった気が…)

 部屋に帰ってきてから、水道で洗っておいたTシャツとジーンズをドライヤーで強制乾燥。ドライヤーを持ってきていて正解だった。しかしものすごい湿気だ。自然乾燥なんてこれっぽっちもしていない。屋根の庇から大量の水が滴り落ちていたので雨が降っているのかと思いきや、それは屋根に溜まった朝露だった。すごい。

 0700 朝風呂をもらいにいく。初めに入ろうとした桧風呂の内湯は中年夫婦が入ろうとしてたので、ひとつ上の内湯に入る。こちらは誰もいなかった。

 風呂をあがり茶を淹れる。何気なく昨日観光案内所でもらった地図に目をやっていてハタと気がついた。旅館へ向かう、オレが来たのと別方向の道……そういえばネット情報に「近道をすれば20分」と書いてあったような…さらによく地図を見るとオレの登ってきた道には「車道」反対側の道には「歩道」の文字が……。

 やられた~~~! 道理でオレ以外誰も歩いて登ってる人がいなかったわけだ。そういえばバスの運ちゃんが車道を指し示して登るならあっちと…あんにゃろ~。

 0800 朝食がきた。今度はほとんど残さず食べる。気がつけば体調が良くなっている。薬を飲むことも忘れていた。

 テレビを観ながら身支度を整えチェックアウトの時間ぎりぎりになって帳場へ宿代を払いに向かう。そこに羽賀研二が投宿した時の写真があった(他の人の写真もあったけど羽賀のが真ん中だった)。

 主人の許可を得て、再度館内の撮影をする。露天は日中工事中のため近づくことができなかった。残念。

 そろそろ出ようと階段を登っていると動物さんが来ていた。

 表へ出て車に乗り込み、タイヤもとられるような悪路を戻る。

 どこへ行きたいかと聞かれても観光に来たわけじゃないし、このあたりでそれほど名所らしい名所というのもなかったはずなので、行き先はお任せすることに。一応福島方面に進路をとりながらいろいろ話をしているうちにアイスの話が出た。このへんで手作りのアイスが食べられるところがあるのでそこへ行こうということになった。

 一度行きすぎてしまってから逆走して着いたそこは小高い丘の上にあって、小ジャレた店が点在していた。一番高い場所には教会が建っていて、中ではカップルが牧師を前に愛の誓いの予行練習をしていた。…のはいいのだが、扉が開いているため他の中年観光客の一行がなんだなんだと覗き込む始末。苦笑。

 輸入雑貨からアンティークファニチュアといったちょっと良さげなものがいろいろ売られていて、実際オレはそこでヤシの繊維でできたナキネズミの人形と木製のヤンバルクイナみないなトリさんを衝動買いしてしまった。

 カフェでチャイを飲みだべっているとまったりしてしまった。オレも眠かったが動物さんもどうやら眠いらしい。カフェを出て周りの店を物色してアイスを食べた。アイスというかジェラートなのだが、牛乳のコクがあって 美味かった。

 1200過ぎにそこを後にして、動物さんが最近気に入っているらしい郊外の大型販売店が集合しているエリアへ向かう。

 そこの本屋にMAXIが平積みされているというので見に行った。なるほど、たしかにある。しかもフツーの漫画に混じって「今月の新刊」コーナーに。たしかにMAXIに成年マークはないが…いいのかなぁ。しかもビニールかかってないし。

 それからハナマルSATYに入って上の階からひやかす。なるほど、でかいだけあっていろんなものが売っている。特に東京のLoftなんかで売ってそうな雑貨なども置いてあった。

 1430 今後の身の振り方について相談。山形に行く体力はもうなかったので今晩は福島市内のビジネスホテルにでも泊まって明日は郡山から水郡線で茨城に住むばあちゃん見舞いに行くつもりだと告げる。それなら郡山まで送りましょうということでR4を南下。渋滞していたこともあって、郡山市内に入ったのは1630くらいだった。

 急激に腹が減ってきたので回転寿司に入る。この時は猛烈に眠かったりもしたのでなんか大変だった。寿司屋を出たときは空に細い月がかかっていた。

 それから郡山市内のホテルの宛てを探して車をまわしてもらったが、それも申し訳ないので車を降りることにした。お世話になりました。

 

 1730 雑居ビルの3階だけを使ったビジネスホテルに入る。フロントの奥はいきなりフツーのダイニングキッチンになっている。怪しい。

 小汚く狭い一室を借りて荷物を下ろす。夜になったら飲みに出るなどと吹聴していたがもはやそんな元気もない。ベッドに横になってテレビを観ながら睡魔が降りてくるのを待つ。……眠れん。眠るにも体力が要るのだ。

 19時過ぎついに街に繰り出す。

 郡山の街も福島市街くらいには勘が効いた。面白そうな飲み屋を探して歩きまわる。何度も同じようなところを回るものだからパブの呼び込みに顔を覚えられてしまいからかわれた。

 ふと、とあるホテルの地下にインターネットカフェがあるのを発見した。ネットジャンキーの血を押さえることができず飛び込む。そして自分のHPや友人のHPをチェック。くだらない書き込みなどしてしまう。それからまた飲み屋を探しに。

 2030 一通り面白そうな店の場所をチェックして、やはりどうせ行くならあそこだなと思った店の前に立つ。その店は店幅がえらく狭く軒の低い店で、重厚そうなドアが店構えの程を語っていた。ドアの横には明かりとり程度の小窓がありチラと中を覗いてみるが暗くてよくわからない。看板には「Bar OKUMURA」とあり、立て掛けられたメニューには「Beer Whisky&Cocktail」としかない。値段がわからなかった。

 覚悟を決めてドアをくぐった。

 中は本当に薄暗く、6人程かけられるカウンターで店内はいっぱいいっぱいだった。そこに先客はひとり。初老のサラリーマン。そしてカウンターの向こうに若いバーテンダー。オールバックで餅肌のいい男である

 入り口近くに腰掛けてビールを注文する。メニューはなかった。バーテン、礼儀正しくきびきびとした動きでビールをグラスに注ぐ。これはちょっと高級な店に入ってしまったかもしれない…。そんな不安にかられながらお通しのナッツをかじりつつ、サラリーマンとバーテンの会話を盗み聴く。

 サラリーマンは少し酔っているようだ。エドラダワー10年をロックで飲んでいる。一見さんというわけではないらしい。バーテンの兄ちゃんは言葉少なにサラリーマンの絡み口調をかわしている。でもその受け答えに失礼がない。できている。

 そのうちにもうひとり客がやってきた。気さくにバーテンに挨拶して慣れた様子で席をとる。歳頃はオレと同年代か少し上。常連客らしい。ラフな格好をしている。すぐにバーテンと世間話を始める。会話から判ったのだがこの若いバーテンはこの店のマスターらしい。オレと同じ歳頃に見えるのだが。

 そのマスターが、会話の途切れたタイミングを見計らってオレの手元にすっとラスクの乗った小皿を差し出した。それを見た客ふたり。

「おお? 久しぶりに出たねぇソレ」

「いいなぁ、オレなんて一度も出たことないよ」

はて、なんのことやら。サービスで出してくれたに違いないのだが、常連たちのセリフは少し解せなかった。そこで「何か意味があるんですか?」と訊いてみた。

「それね、マスターの特製。めったには出さないんだわ」

 マスターは薄く笑みを浮かべてるだけ。何だろう…客を選んで出してるということか?? 少し恥ずかしくなってラスクを噛る。温かい。オレンジのサワークリームが挟んであった。美味い。好意に応えるべく温かいうちに全部食べた。

 その後、サラリーマンはマスターのつれないのに少し腹を立てて帰っていった。もうひとりの常連はマスターにずっと話しかけている。オレはその会話をつまみに酒を飲んでいた。ビールがなくなり、酒棚を見渡してマッカライにするかエドラダワーにするか迷ったが、さっきサラリーマンが飲んでいたのが気になっていたのでエドラダワーをロックでもらうことにした。クセがある。寝不足でボロボロの体にはちょいキツイ。チェイサーの水で流し込む。

 そのうちに、オレが退屈そうなのを察してかマスターが話しかけてきた。

 東京から温泉につかりに来たと答える。仕事の話になり、オレは漫画家であることを明かした。そこからは常連の客も一緒になって漫画の話や、金儲けの話、福島と郡山の違いの話、どうすればこの店が繁盛するかといった話で盛り上がった。常連の客の名前はわからずじまいだったが、気さくでいい人だった。マスターも気さくだったが、決してバーテンと客の一線を踏み越えることはなかった。酒を作る動作はそれ自体が商売品だった。徹頭徹尾淀むことのない美しい動作だった。

 1030 常連の客が帰った。新しい客は来ない。黙々とオレが酒を飲んでいるだけで、マスターも極自然な振舞いで雑務をこなしていた。時折オレが話しかけて、マスターと店のことを訊ねたりした。マスターはオレより一つ年下だった。店を開いたのは24の時だという。他の店で独学でバーテンの技術を身に付けたらしい。本当に好きでやっているというのがわかって、酔っ払いのオレはなんだかすごく嬉しいのだった。

 そんな話の間にオレはダイキリXYZを飲み、最後にその日のおつまみのメニューからオムレツを選んで頼んだ。すごく狭い厨房で作られたオムレツはとても美味かった。

 そして0時、東京に帰ったら店の宣伝をすることを約束して店をでた。店はこれから閉店の2時までが掻き入れ時らしいが、平日のその夜に客が来る気配は感じられなかった。

 ちなみに4杯(そのうち1杯はエドラダワーだったことも考慮)とオムレツで4800円。相場な値段だ。

 それから部屋に帰りベッドに倒れ込んだ。いい夜だった。

 Bar OKUMURA :福島県郡山駅前2-5-6 0249-21-1399

 

 BARからホテルへ帰ってベッドに倒れ込むも、気持ち悪くて時々目を覚ましてしまう。寝不足のまま朝を迎えシャワーを浴びて荷物をまとめ、1000 チェックアウト。

 今日は茨城県勝田(現ひたちなか市)に住む祖母を訪ねるつもりだ。

 常磐線勝田駅は同線水戸駅の一つ北にあり、ここ郡山から水戸へは水郡線というローカル線でつながっている。奥久慈を抜けてゆくこの列車はディーゼルカーである。ドアも乗客がボタンを押さないと開かない。

 ホテルを後にしたオレは或るモノを探してその近くをうろついた。そのモノとは喰いモノ。昔一度だけ買って食べたことがあるのだが、とても美味かった記憶をずっと抱いていたのだ。ただ、そのモノ独特の特徴が一体何だったかを忘れていた。

 程なくして一軒の和菓子屋を発見。店内に入りショウケースを右から左へと、そしてまた右へと見渡す。…ない。店員のおばちゃんに恐る恐る訊いてみる。

「ここに…その…どら焼きの中に何かが入ったようなモノは売ってませんか」

「…梅の入ったのなら、この先のお店で売ってたと思いますがねぇ」

「そ、そうですか…すんませんでした」

 すごすごと店を出ると、示された店がすぐ先に見えていた。のぼりが立っている。

「名物梅どら」

 そうだそうだ、梅どらだ! 店に入ると詰め合わせ、単品と、その梅どらが売られている。祖母への土産にするつもりで詰め合わせを注文しようとすると「今お茶を淹れますのであちらにお掛け下さい」とのこと。

 そこで梅どらの単品を1コ頼んで、それをお茶菓子にお茶を戴いた。それから詰め合わせと自分用の単品を3コ買ってから次の或るモノ探しに向かった。次の或るモノも思い出の喰いモノである。それは駅ビル内のイタリアントマトの一メニュー。

 駅に着くも駅ビルの開店は11時。まだ時間がある。駅ビル前のイスに腰掛けて煙草を吸いながら旅日記をつけて時間を潰す。

 11時開店。関係ないが、パンパンの登山リュックにヤンバルクイナと梅どらの入った紙袋を下げてうろつくのはかなり疲れる。

 店内。窓際のテーブルに腰掛けてとりあえず朝飯でも頼もうかと思ったが、飲み物のメニューしかない。食べ物はランチ以降しかないそうだ。仕方ないのでお目当てのモノを注文する。それは「アッサムシェイク」。東京のイタトマでこれを見たことがない。ここにしかないのか? それはおいといてとにかく美味いのだ。

 やってきたアッサムシェイクをおいしく戴きながら旅日記をつけていたら1時間近く経っていた。そろそろ列車で移動しようと思い店を出る。駅のロビーで水郡線時間を確認する。水戸行きの次発は…1346?? まだあと2時間近くある。そして水戸までは3時間強かかる。本当なら今日中に東京へ帰りたかったのだがこれではムリっぽい。

 例の事故(2014.1.24追記。例の事故とは、1999.9.30に起きた茨城県東海村JCO臨界事故のこと)があって、その後自分の見解で安全だと確認したら顔を見に行こうと決めていたこと。今夜は祖母の家に泊まることにした。

 そして発車までの時間をまた郡山の繁華街をうろついて回ることに…もうかなり道と店を覚えてしまった。

 昨夜のBARへ行き写真を撮る。日中見ると台無しな店だ。

 本屋に入る。けっこうヲ向けな本屋だ。MAXIを確認。平積みはされてなかった。あの本は平積みされてナンボなのだが。それはさておき、そこで「ドラゴンヘッド(9)」と「プリンススタンダード(2)」を買う。

 いい加減腹が減ったのでそば屋に入って鳥南蛮をすする。

 それからまだ少し時間があったので例のインターネットカフェへ赴き、ちょこちょこと掲示板巡り。ふと店内の時計と伝票を見比べて呆然とする…あれ? なんか時間おかしいぞ…そういえば昨日来た時も30分近く店の時間が遅れていた気がする…。

 自分の携帯の時計を見る。

「1340」

 なんですとーーー!! 店を飛びだす。店から駅までは歩いても5分くらいの距離のつもりでいたが、キップはまだ買ってないし、とにかくやばい。次々発の列車はさらに2時間後になるのだ。いい加減うろつくのにも飽きたぞ。それは嫌だ。走る。しかし大荷物が災いして小走りにしかならない。

 発車2分前、プラットホームに到着。売店で味付きタマゴとお茶を買う余裕はあった。

 列車に乗る。列車は3両編成。一人掛けのボックスシートと横掛けのシートがあったがボックスのシートはすでに埋まっていた。仕方ないので女子高生の多い横掛けのシートに座る。そして列車が動き出した。

 

 オレが福島にご無沙汰してる間に国体が福島で開かれていたが、その時造られた総合体育館などが、発車して間もない窓外に見てとれた。しかしその後は面白くもない田舎の住宅街の景色しかなく、オレは漫画に読みふけっていた。

 漫画も読み終わってしまい、いつの間にか郡山から乗っていた客もかなり少なくなっていた。斜め前のボックスが開いたのでそこへ席を移動する。

 景色は少しずつ淋しくなってゆく。朝は晴れ渡っていた空が曇っている。連日の疲れと寝不足、そしてこの空模様が気分を消沈させていった。眠いのだが眠る体力がない、といった感じで、茶をすすったりタマゴを食べたり梅どらを食べたりで…どんどん気持ち悪くなっていった……。

 下校時間にあたるのか、たまに高校生が乗り込んでくる。それにしても1時間に1本あるかないかの列車で通学とは大変なものである。おまけに下校途中で遊ぶような処もなんにもないし。

 いろんなところにいろんな生活がある。どうも東京にいると瑣末なことに不平を漏らすようになる気がする。どうせ部屋から一歩も出ない日ばかりの生活ならこんな田舎でも漫画は描けるんじゃないか? とか考えてちょっと憧れもするのだが、それが東京モノの傲りだろう。すぐに泣きが入るに違いない。

 気分も体調もブルーな中、列車は進む。時間だけが進まない。そういえばこの列車にトイレはない。用足しのために途中下車はいいが、次は2時間後かと思うと我慢するよりない。幸い最後まで催すことはなかったが。

 それにしてもあまりにだるいのでどこかで途中下車してどこかに投宿しようか、などと思っているところへ雨が降ってきた。

 車窓に流れる景色は鈍色の田園風景…体調さえ良ければこういうのも嫌いではない。物思いにでも耽ろうかというものだが、そんな気にすらならない。こんな時に車ならいいなと思う。好きに停って好きに道をはずれられる。

 棚倉を過ぎ列車は久慈川に出会い別れつしながら山間を抜けてゆく。もう茨城県だ。

 水郡線自体には過去に乗ったことがあるし、水郡線と同じようなルートを辿るR118も昔はよく走ったので風景の移り変わりにも慣れている。

 途中、矢祭という駅舎の可愛らしい駅に着く。ここは一度散策したいと思っていた土地だったので降りようかとも思ったが、雨降りだったのでやめた。傘は一応持ってきているが。

 ある駅でまた高校生が乗り込んできた。すごい山中だというのにガングロが二人。

 勘弁してくれと思っていると、その二人、大声でこんな話を始めた。

「あのさ、笑うよねぇアリサちゃんってさあ」

「ああ! アレ? 33P(さんじゅうさんぴー)??(爆)」

「そそ、なんであのコ「ぴー」って言うわけ? 「ぺーじ」って言えっつーの(爆)」

「だよねぇ。33とかならまだいいけど「3P(さんぴー)」とか言うでしょー(爆)」

「ぎゃはは! 教室でね! しかも本人全然おかしいと思ってねーし(爆)」

 その話はちょっとオレも面白かったので良かったのだが、二人はさらに頭を抱えたくなるような話を始めた。

「ねえ…あたしケツ毛生えてるんだけどサー」

「……………(-_-;)」(オレ)

「えーウソー」

「いや生えるっしょ? なんかさー前の方からつながってんだよね」

「それって汚くなーい?」

「てゆーか見られたら超ヤバいじゃーん? けど抜くとコーモンとかすげえ痛いわけ。ねえ、どーしてんの? 生えてるっしょ?」

「え~~。うーん…まぁしょぼしょぼっとね…細いのが少し。あたしは剃ってるよ」

「マジィ? あたしゴワゴワよ! いやあたしも剃ってるけどさ!」

 ……そうなんですか。女子高生もケツ毛生えるならオレも大先生も気にすることはねえわな……いやしかし…田舎ならではの豪快な話だったんでしょうか、アレは。

 その女子高生たちも列車を降りる頃、列車も終着駅に程近いところまで来ていた。

 そして1651 水戸に到着。ここから常磐線に乗り換えて勝田へ行くことになる。

 1715 勝田到着。久しぶりに来た。勝田市ひたちなか市に統合されてからは初めてじゃなかろうか…。

日はとっぷりと暮れていた。

 気になっていたことがあった。それは事故後の市民の姿だった。しかし喉元も過ぎたのか…この言い方にトゲがあるというなら、毎日の生活があるためか、道行く人々の姿は至って日常的だった。雨に濡れて走っている人もいる。正直言ってオレはちょっと気にして慎重に傘を開いた。

 近道をせずに繁華街を通りながら祖母の家へと向かった。このルートを歩くと20分以上かかる。それでも街中を歩いてみたかったのだ。

 見慣れた街の姿があった。あまり変わっていない。少し大きめの本屋が途中2軒あったのでチェックを入れる。一軒目にMAXIはなかったがアガデベベがあった…珍しい。二軒目には何も置いてなかった。ちっ売り切れじゃあ仕方ねぇ。

 しかしここで唯一、事故の残した影響を目にすることに。

 「放射能」の貼り紙のある特設ブース。そこには様々な放射能原発に関する書物が置かれていた。東京の本屋で同じモノを見ても、このコメカミの痙攣する思いは絶対にないだろう。

 見たことのないテナントビルを発見。1,2階はカラオケが入っている。そして3階には「南インド料理」の文字…。オレは祖母…ばあちゃんにはメシの用意は要らないと伝えておいた。そうしないと頼みもしないものをバンバン用意されてしまうからだ。この体調で食欲はあまりない。そして、ばあちゃんの料理はまずいのだ……。しかしインド料理…カレーとなると話は別だ。本場のシェフを招いているらしい。行っておこう。

 そう思ってビルに入るも…なーんか暗い。いや照明はついてるのだが人気がない。大体カラオケの賑やかしさが感じられない。そして3階。やはりシン…としている。店内を覗くと客の姿が見えない。帰ろうかな…と思った時、日本人女性の店員が廊下に出てきて目が合ってしまった。「どうぞ!」その声は明らかに久々の来客に喜んでいるようであった。

 店内はパーティルームくらいの広さがあり、装飾も悪くなかった。ただ客がいなかった…正確には一人いたが。いつもはできるかぎり店内を見渡せる席を取るのが常なオレだが今回はガランとした店内を見るのが辛かったのでカウンター席に陣取った。ちなみに店内を見渡す席に座る理由は突然のテロリストの来襲に備えるためである。これは元グリーンベレー柘植久慶氏の著書を読んで以来の習慣(バカ)。

 ホントに嬉しそうな先程の店員がいそいそと注文を取りに来る。ほうれん草とチキンのカレーを頼む。ライスorナンは別オーダーらしいのでライスを頼む。あとチャイを食後に持ってきてもらうように頼んだ。

 カレーは正直言ってあまり美味くなかった。本格的な調理だとは思ったが、味が足りない感じがした。

 食べているとやっぱりさっきの店員がやってきて、よろしければサービスしますのでナンも食べてみませんか? とのこと。戴くことにする。察するにあまりの客の無さに材料も余らせているのではなかろうか…。もしくはオレに惚れたかの二択とみた。しかしそのナンも不味かった…。生焼けであった。唯一チャイだけはフツーに美味かった。

 店を出て祖母の家に着いたのが1900すぎ。ばあちゃんは元気だった。

 仏壇のじいちゃんに手を合わせるのが済むと早速「ラーメン取るけ?」「ビール飲むけ?」だから、なんも要らんっちゅーの。オレのばあちゃんは70をとうに過ぎているがボケ知らずというか、とにかくうるさい。うるさいのだ。会うまでの心配が一気に消え去った。オレはとっとと二階へ上がって寝てしまった。

 翌朝、目を覚まして飲み物を漁りに冷蔵庫を開けると…またオレの眉間にシワが寄った。ものすごい量の食料が詰め込まれている。パックのジュースを手に取り賞味期限を見ると…案の定1年以上経過している。

 オレのばあちゃんはなんでも溜め込むクセがある。まあ、それがあったから、事故で屋内退避勧告が出た時も食料の不安はないなと安心してられたのだが。

 とにかく、冷蔵庫は手をつけずに終わりそうなジュースやお菓子でいっぱいだったので土産に買った梅どらは渡さないことに決めた。どうせ食べやしない。

 シャワーを借りた。髪を乾かし、長くなった髪をあげてみる。…ハゲたなぁ…。

 と思っていたらばあちゃんにしてやられた。ばあちゃんはうるさい上に意地悪い。オレの後ろから「髪増えたんと違うけ?」とか言いつつ「前から見るとそうでもないけ?(ニヤ)」……ババァ…。

 実は血のつながりのないオレとばあちゃん、祖母と孫という関係はフツーに保ってるがとにかく性格が合わないのはやはり血のせいかなどとも思ってしまう。

 そんなわけで無事でやってるのを確認できた今オレは一刻も早く東京の部屋に帰ってマックに火を入れたかった。

 1200 祖母の家を発ち、近道で駅へ。そこから常磐線上野まではスーパーひたちに乗って帰るかとも思ったが、やはり旅は各駅停車ですな、などとまだ楽しみたいご様子。しかしたかが常磐線に情緒もへったくれもなく、横掛けの席でCDに没頭しつつ早く着いてくれるのをひたすら願うオレでした。

 東京へ着いたのは1500。梅どらを巨匠市川大先生の部屋のドアノブにかけてこようかとも思ったが、もう何もする元気も無かったので立川へ直行。

 そして、部屋の鍵をガチャリと回す音がこの旅の終わりを告げたのでした。

 おしまい。